ステンレス鋼の歴史
- 2016.04.17
- カテゴリ: 知識|Knowledge
|ステンレス鋼とは
私たちの生活に欠かせない素材であり、ベンカン製品との関連性も高いのがステンレス鋼です。
英文ですと、「Stainless Steel」となり、「Stainless」は錆にくい、そして「Steel」は鋼のこととなります。
ステンレス鋼とは、鉄(Fe)にクロム(Cr)を一定量以上配合して人工的に造った合金の一種です。
その定義は、「クロム含有量 10.5%以上の鋼」とされています。
この定義ですが以前は、クロム含有量が約13%以上でした。
しかしながら、技術の向上によって炭素、窒素、硫黄などの耐食性を低下させる元素の含有を減らせるようになりました。
その意味でも1988年に世界税関機構によって現在の定義が導入され、現在では、国際標準規格 (ISO) や 日本産業規格 (JIS)などでも採用されています。
よく、ステンレス製のスプーンやフォークの裏に「18-8」と表記されていますが、これは、18%のクロムと、8%のニッケルが含まれていることを意味します。
|ステンレス鋼の原点
ステンレス鋼の歴史は約100年と、まだまだ浅く、新しい素材として位置付けられています。
ステンレス鋼の誕生は、裏を返せば、錆てしまうなどの鉄の特性(欠点)があったことは間違いありません。
中世ヨーロッパでは、十字軍が持ち帰った、鎧に切りつけても刃こぼれしない程、優れた「ダマスカスの剣」の生産を目指し、様々な製法を試みられました。
しかし、18世紀になっても、イギリスで生産される鋼は、「ダマスカス鋼」に勝ることはありませんでした。
そこで注目を浴びたのが、当時、イギリスの植民地のインドにあった「ウーツ鋼」で出来た「デリーの鉄柱」です。
現在のデリー市郊外の世界遺産「クトゥブ・ミナール」内にある、この柱は1600年にわたって雨ざらしの状態であるにも拘らず、錆びていないとして良く知られています。
その後もイギリスでは、国内における製法技術の向上に努めましたが、インドより輸入した「ウーツ鋼」を超えるには至りませんでした。
|ステンレス鋼をつくった偉人たち
例えば、後に「電磁気学の父」と呼ばれるマイケル・ファラデーも、1815年から英国王立研究所で「ウーツ鋼」を製造する製法の研究をしていました。
しかし、「ウーツ鋼」を作る事は出来なかったとされています。
そこで、ファラデーは、白金などの貴金属類を鋼と合金にする素材の研究に切り替えたのです。
そして、1820年にイギリスの刃物師ストダートとの連名で、『改良の目的で行った鋼合金の実験』を発表し、地元イギリスはもとより、特にフランスで大きな反響がありました。
その後も、鋼と貴金属との合金の研究は続けられ、「鋼銀合金」が「ウーツ鋼」を越える硬度の金属として量産が始まるに至っております。
同じくして、フランスのルイ・ニコラ・ヴォークランは、当時「シベリアの赤い鉛」と呼ばれていた鉱物から、新種の灰色の金属を発見しクロムと命名しました。
そして、優れた鋼を造り出す理由が〝製法〟ではなく、〝材料〟であることが判明すると共に、このクロムがステンレス鋼の誕生を大きく左右することになります。
ボーキサイトをアルミの原料として発見したことで有名となったフランスの鉱山技師ピエール・ベルチェは、この論文を元に研究を重ねます。
すると、炭素1%程でクロム1.0%と1.5%のフェロクロムを作り、ナイフとかみそりに加工したところ、良好な切れ味と共にダマスカス紋様を再現させることに成功したのです。
そして世界は第一次世界大戦に突入して行くことになりますが、それを前にして優れた鋼の開発は、兵器の耐久性を高める研究として行われることになります。
イギリス人のハリー・ブレアリーもその一人で、耐磨耗性を向上させる合金鋼の研究を行っていました。
その過程で、腐食剤(化学薬品)で金属表面を意図的に錆びさせて金属組織の観察するエッチングと呼ばれる作業をしていると、クロムが対腐食性に優れていることを発見するのです。
その後、ブレアリーは、1913年8月に0.24%炭素、12.8%クロムのステンレス鋼を発明するに至る訳です。
鉄・クロム・ニッケル合金であるステンレス鋼は、ただ1つの過程によって発明された素材ではありません。
ヨーロッパの複数の国、人物によって行なわれた多数の改良や、発見の積み重ねによって創造された価値ある素材です。
まだまた、誕生から約100年のステンレス鋼ですが、これからも歴史と実績を重ねて進化して行く素材として期待されています。
※画像は、wikipediaから引用
toshinori tanaka